寺・宗教

お寺を継ぐのが「嫌」なら、継がない方がいいと思う理由

どうも、寺生まれのたぬぎりです。

 

お寺に生まれた者の宿命とも言えるものが、

 

お寺を「継ぐか」「継がないか」という問題

 

なんですよね。

まさにこれは昔の自分がぶち当たっていた問題なんですよ。今現在は継ぐことを決意しましたが、高校生と大学生の時は死ぬほど継ぐのが嫌でした。

 

結論から言うと「寺を継ぎたくない」って思ってるなら、絶対に継がない方がいいです。

 

今回はこの問題について深掘りして話をしていことかなって。

継ぎたくなくて1人で悩んでいる人、お寺の後継として生まれた人、継ごうかどうか今悩んでいる人の参考になればいいと思います。

 

お寺が世襲制という現実

まず前提条件として、現在ほとんどの寺院が世襲制の形をとっていますよね。

「世襲制」が分からない方に解説すると、職業や地位を子供や孫が継いでいく制度のことを世襲制と言います。「お父さんの仕事を子供が継ぐ」っていう形式のことです。

なので、ほとんどのお寺では子供が生まれると、その生まれた子が後継者だと考えられています。

 

幸か不幸か、生まれた子供は生まれながらにして「お寺の後継者」なのです。

 

僕も生まれながらにして「お寺の後継者」でした。

兄弟がいれば話は違ったかもしれませんが、僕と妹の2人兄弟だったために、誰の目から見ても僕が継ぐのが「当然」になっている訳です。

「良かったじゃない、いい後継さんがいるのね」

「あなたのとこは男の子が生まれてよかったね」

近所の人や、周りの親戚、近所にあるお寺さん、いろんな方面からいい感じに言われます。

 

ですが個人的な感情は別です。

「お寺を将来継ぐんだ!」って最初から思える人はなんの問題もありません。

しかし、

  1. お寺に興味がない
  2. 信仰心もとくにない
  3. やりたい事が他にある
  4. お寺だけで生計を立てれない

こんな風に考えていて「お寺を継ぎたくない」人も中にはいる訳です。

 

こうなってしまうと「周りからの期待」と「個人の感情」が反発していまうわけです。特に若い後継者の方に多いんですよね。僕もそうでした。

それがお寺を「継ぐか」「継がないか」の問題に発展する訳です。

 

継ぎたくないのに継ぐのは迷惑

シンプルに言って「継ぎたくないのに継ぐ」のは沢山の人に迷惑をかける事になります。

周り言われたから…、親に継げと言われたから…。

そんな風にお寺を継いだとしても、みんなが幸せなのは一瞬だけ。どんどん迷惑が大きくなってきて、後悔する事につがなります。

じゃあ誰に迷惑をかけてしまうのかを考えてみたいと思います。

檀家さんに対して

まずは何と言っても一番迷惑をかけるのは檀家さんに対してです。

檀家 = お寺にお布施をしてくれる方たち。

なぜなら前提としてあるのが「住職はお寺の社長」ではありません。「檀家さんが支えているお寺の管理人」なのです。

 

起業社長というより雇われ社長のイメージですね。

 

当たり前ですが、継ぎたくないのに継いでしまうと、やる気も起きませんし本気で向き合うこともできません。そんな人に供養されたりお葬式でお経読まれるのも嫌じゃないですか?

もし自分がお寺さんに供養を頼むってなったとしても、やる気がない人に頼みたくありません。

やる気のない飲食店より、やる気のある飲食店の方がサービスや味も上がっていくのは明白。もう業種どうのこうのじゃなく働く人の問題ですよね。

 

「住職さんお願いします…」って言われて檀家さんからお布施をいただいてる訳ですから、嫌々するなら最初から継ぐなって話です。

 

供養する方に対して

供養される方はたまったもんじゃないですね。

心の中で「仕事嫌だなー」って思ってる住職にお経を読まれるんですよ?

ちょっと…。嫌ですよね。

自分が死んじゃった時に、お経読んでくれるお坊さんが(うわーあの時就職すればなー)って考えてたらドン引きですよ。

チェンジで。。。って言いたくなります(笑)

 

自分に対して

自分を殺して「嫌」って思ってる寺継いでどうするんですか…。

もちろん周りに期待されてとか色々理由があるのは分かります。会うたびに「後継さん頑張ってね」「将来は長男さんがいるから安心ね」とか、期待されてる感があると「期待に応えたい」って気持ちになりますよね。

もちろん期待に応えたくなる気持ちになるかもしれません。

 

でも、自分を殺して継いでも何もいい事ありませんよ

周りに流されて行動しても、周りは責任を取ってくれません。大人になれば全て自己責任です。それにお寺は個人事業主の側面も非常に強いです。自分の意思決定がお寺を左右させます。

自分の意思や考えで決定が出来ないなら、きっと継いでも失敗します。

そうなるともっと寺は嫌いになりますし、宗教も嫌いになるんじゃないですかね。

 

本気で嫌なのに、継ぐのは結局のところ自分を傷つけて追い込んでしまう結果になるんじゃないですかね。

それなら自分のやりたい事や興味のあることを仕事にした方が十分社会にも貢献できますし、生きてて楽しいですよきっと。

 

「両親のために…」はやめておいた方がいい

両親が期待してるから継ごうかな…。

って方が中にはいるみたいですが、それはやめておいた方が僕はいいと思います。

「両親のために」ってのは言葉としてはたしかにキレイかもしれません。

ですが、お寺という業界はどんどん厳しくなってきています。一昔前より個人の努力や戦略が重要になってきます。

両親のために継いで、失敗してしまった時、「両親のために継ぐんじゃなかった…」って後悔する事になりませんか? 両親を恨んでしまったりしませんか?

お寺単体で、生計立てるのが厳しくなった時、ご飯を食べるのも厳しくなってきた時、あなたはそれでも両親に負の感情を持ちませんか?

僕は「ない」って言い切る自信がありませんでした。

「両親とため」は材料の一つならいいかもしれませんが、それをメインにするのはオススメ出来ませんでした。

 

だから最後は「自分の意思で継ぐ」って決めるのが大切

 

継ぐ継がない問題は色んな状況がありますが、もし継ごうと思うなら自分なりの理由を持つ事をオススメします。

以上です。

質問とかあったら、また記事にしたいと思います!

 

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